延暦寺僧、金亀和尚は(天長四年、八二七年)宇佐八幡宮を勧請し、由原八幡宮を建立するに際し、候補地の中に妙蓮寺や来鉢神社、賀来神社なども入れた。その後来鉢に移り、さらに由原の地に宮を建てたとの言い伝えがある。それ故妙蓮寺は由原八幡宮第一の本院であるとしたほど、由原八幡宮と妙蓮寺の関係は深かった。そこで妙蓮寺の再建に当たり、来鉢村と黒野村の庄屋が由原八幡宮の三十三代宮師豪憲の援助により次第に寺の再建を進め、延宝五年三月(一六七七年)地蔵堂の完成により、寺の再興は成就した。妙蓮寺は、天台宗寺院・石城寺が宝亀年中(七七〇~七八〇)に開基したとされるように、相当古くから存在していたでであろう。あるいは寺ではなく古社であったかもしれない。
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由緒と歴史
妙蓮寺について(由原八幡宮との縁)
初期妙蓮寺イメージ画像
延暦寺不滅の法灯
由原八幡宮画像
宇佐八幡宮画像
歴史
妙蓮寺再興成就のときの住職は、由原八幡宮、本泉坊の秀栄であった。秀栄のとき元禄二年己巳八月、地蔵尊をいれる厨子を新たに作っているので、地蔵尊像も地蔵堂を立てた時、現在妙蓮寺にある地蔵尊を新しく作り、その地蔵堂に納めたと考えられる。妙蓮寺が最も隆盛だった時期は、約二百八十年前の享保年間で、地蔵尊の修復や厨子の新調などが行われ、近郷近在からの参拝者で随分賑わった。妙蓮寺は祈祷寺であったのでないかと推測できる。近郷近在からの参拝者のために無病息災、災難消除、心願成就、諸願成就、五穀豊穣、商売繫盛などを行い、定期的に開帳を行ったり縁日を行ったと伝えられている。